初投稿 自己紹介
はじめまして。
まずこの記事にたどり着いていただいた方、ありがとうございます。
チュー太(@kimino_me_2)と申します。
この記事では、しがない僕の自己紹介をしようと思います。
1.何故、ブログを始めたか
2.では改めて自己紹介
3.今後のこのブログについて
1.何故、ブログを始めたか
1つは完全に気分。もう1つはまとめて吐き出す場が欲しかったからです。
最近、Twitterにて自分のことを垂れ流しているのですが、同じことを言っている気がして、まとめてみようと思った次第です。
2.では改めて自己紹介
チュー太(@kimino-me_2)です。現在25歳。顔はよくない。中背中肉。
文系男子。大学院卒。4人兄弟の長男です。
小中から児童会や生徒会、学級委員などを歴任?し、高校も自分で言うのもなんですがそこそこ準進学校くらいのところに入って生徒会とバレーに明け暮れ、県立の大学へ。
そこが第一の転機でした。
僕の大学は保育系で、男子が極端に少ないのです。そのため、男子が結託していたのですが、その結託の仕方がなかなか「The大学生」とは違う。
夜通し大学に泊まりながらやるのは「教育系の文献の勉強会」。意見を出してはさらに考えを変えていく、答えのない議論を延々やる。これが面白かった。刺激的だった。
保育士を目指していた僕は、気が付いたら保育士を諦め、大学院に進んでいました。
大学院では、年のかけ離れたおじさんおばさんとさらに深い議論を繰り広げる毎日。そして修論を書くことに追われておりました。
保育の大学院といっても、保育の良さを探究するというよりは、「ここが変だよ保育業界」をやったつもりです。文句ばっかり言っていました。
そうして僕の性格である「完璧主義(=凝り性)」と「理論的な思考」、「話したがり/聞きたがり」が形成されていきました。
うだうだと奨学金を借りながら過ごした6年間もやがて終わりを告げます(この間にも家族のことでいろいろありました。)。そして就職したのは介護業界でした。介護業界で、生活相談員になるべく某大手介護法人に就職しました。
ここで第二の転機が訪れます。3カ月で辞めました。
5月中頃に「適応障害」の診断を受け、休職。そして6月末をもって退職です。
理由はまたの機会にしようと思いますが、とにかくあのときは「壊れる寸前だった」と思います。
休職期間中、僕の価値観は「休む」ことで、また同じ苦しみを持つ方とTwitterにて交流できたことで本当にカラフルに変化したと思います。
今は適応障害の時に感じた自分への不安と向き合いながらも、偶然話を頂いたソフトウェア関連の職に転職し、ついに初出勤を果たしました。
3.今後のこのブログについて
これからは、転職した先の自分を俯瞰で観察するためにも、仕事を始めるとハイになってしまう自分の脳を落ち着けるためにも、これからの自分をしっかり客観視するためにも、とりあえずだらだらと不定期に書いてみようと思います。日記代わりに。
Twitterで細切れにつぶやいていることがまとまってきたら出力したり、思ったことを書きなぐったり、質問箱に応えたりするかもしれません。
今後とももし気が向いたらご愛好のほど、よろしくお願いいたします。